首里城復建のためにみんで力を合わせよう!
ちばりよー琉球!

焼失した首里城内、書院・鎖之間にて提供していました​

書院は、国王が日常の執務を行った建物であり、取次役や*近習(きんじゅう)などの側近のスタッフがその周辺に控えていました。
*三司官は取次役を通じて国王に面会し、報告を行うと共に指示を仰いでいました。
また、中国皇帝の使者(冊封使)や那覇在住の薩摩役人を招き、ここで接待することもありました。鎖之間は王子などの控所であり、諸役の者たちを招き懇談する施設だったといわれています。


*近習(きんじゅう):国王の側近で、取次役などを行う役人。*三司官(さんしかん):国王を補佐する大臣クラスの役人3人制で司法、法仕官とも言う。
※文書及び写真は、首里城内パンフレットより抜粋。

首里城復興義援金として寄付しています。

消失した首里城内、お茶席「鎖之間」にて提供していたお菓子をお取り寄せできます。
売上の一部を「首里城復興義援金」として寄付しています。

オンラインショップ

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琉球菓子​

琉球王朝時代には160種類ものお菓子があったといわれていますが、ここでは代表的なお菓子についてご紹介します。
これらのお菓子は、約200年前にさかのぼります。当時の琉球王朝は中国と日本の両属関係にあり、中国との主従関係を保ちながら本州へも出向いていました。当時、琉球王府の包丁役(料理方)だった新垣親雲上淑規は、中国から入ってきたお菓子を、本州に渡って日本の技術も取り入れ、また近隣諸国の製法等も参考にして、琉球王朝菓子を作り上げたのです。